キングダム
Kingdom
紀元前3世紀の中国・戦国末期を舞台に、戦災孤児の信が秦王嬴政(後の始皇帝)とともに中華統一を目指す歴史漫画。王翦・廉頗・李牧など実在の武将を交え、秦による六国統一の過程を描く。原作:原泰久。
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最新刊・連載の確認
公式情報の確認日: 2026-07-26
79巻(2026年5月19日発売)。80巻は2026年8月19日発売予定。 この年表は作品内の出来事と史実上の年代を混同しないよう、各項目の出典・確度を分けて記録しています。
集英社公式の刊行情報を確認する ↗キングダムの年表79件の出来事
信と漂、奴隷として農村で育つ
戦乱で両親を失った信と漂は、秦国の農村で奴隷として育つ。二人は「天下の大将軍になる」という夢を共有し、日々剣術の修行に励む。
嬴政、13歳で秦王に即位
荘襄王の死を受け、嬴政が13歳で秦王に即位する。実権は宰相・呂不韋が握り、嬴政は傀儡に近い状況に置かれる。
— 史記・秦始皇本紀。荘襄王3年(紀元前247年)に嬴政が即位。
漂の暗殺と嬴政との出会い
漂が嬴政の影武者として王宮に召し抱えられるが、成蟜一派の政変に巻き込まれ致命傷を負って信のもとへ帰還する。信は漂の地図を手がかりに嬴政と対面する。
山の民の助力による王都奪還
嬴政は山の民の王・楊端和の協力を取りつけ、成蟜一派が占拠する王都咸陽の奪還に成功する。信も戦いに加わり、自らの剣で道を切り開く。
信、百人将・三百人将へと昇進
信は飛信隊を率いて各地の戦いに参加し、武功を重ねて百人将から三百人将へと昇進していく。秦の対趙・対魏戦の中で、隊としての実力を着実に高めていった時期である。
蛇甘平原の戦い、信の初陣
秦将・麃公が魏の要衝を攻める遠征に、信は歩兵として初めて従軍。伍の仲間と共に奮戦し、魏将・呉慶の討死に貢献して武功を挙げた。
— 漫画『キングダム』の独自エピソード。対応する史実記録はない
趙の名将・廉頗、魏へ亡命
趙で悼襄王が即位すると老将・廉頗は将軍職を追われ、これを恨んで魏へ出奔。史記に記録される実在の逸話で、キングダムでは山陽攻略戦において魏軍を率い秦の蒙驁と対峙する敵将として描かれる。
— 史記廉頗藺相如列伝/漫画では山陽攻略戦の魏軍総大将として登場
大将軍・王騎、飛信隊の前に現れる
秦の六大将軍の一人・王騎が信たちの前に姿を現す。呂不韋派との政争を生き延びた老将で、後に信の運命を大きく左右することになる。
— 王騎は史記に記録される秦将・王齮(一説に王齕と同一人物)をモデルにした漫画独自のキャラクター
刺客の一族・羌瘣、信たちと出会う
伝説の暗殺者集団「蚩尤」出身の羌瘣が信たちの前に現れる。卓越した剣技を持ち、後に飛信隊の中心メンバーとなっていく。
— 漫画『キングダム』の完全な創作キャラクター。対応する史実記録はない
軍師志望の河了貂、信たちに加わる
軍師を志す少年・河了貂が信たちと行動を共にするようになる。後に飛信隊の軍略を担う重要な存在へと成長していく。
— 漫画『キングダム』の独自エピソード。対応する史実記録はない
尾平・尾到ら「伍」の仲間、飛信隊の礎に
信と同じ伍を組んだ尾平・尾到ら仲間たちが、蛇甘平原の戦いなどを共に戦い抜く。後の飛信隊結成の人的な土台となった。
— 漫画『キングダム』の独自エピソード。対応する史実記録はない
秦軍の隊長・縛虎申、登場
秦軍の一隊を率いる隊長・縛虎申が信たちの前線に関わる。荒々しい戦い方で知られ、のちの戦いにも影響を与えていく。
— 漫画『キングダム』の独自エピソード。対応する史実記録はない
楊端和と山の民、秦との連携を深める
山の民の女王・楊端和が秦との協力関係をさらに強め、山陽方面の軍事行動を後方から支える。史実の楊端和は山の民の女王ではなく秦の一将軍で、この人物像は漫画独自の創作。
— 史実の楊端和は秦の将軍(初出は紀元前238年の衍氏の戦い)/山の民の女王設定は漫画独自
昌平君・昌文君、政の側近として台頭
楚出身の昌平君と昌文君が若き嬴政の側近として存在感を増し、相国・呂不韋の強大な権勢との間に緊張が生まれ始める。両者はのちの嫪毐の乱鎮圧でも中心的役割を担う実在の人物。
— 史記秦始皇本紀(両者は紀元前238年の嫪毐の乱鎮圧で確認される実在人物)/本項の政争描写は漫画の脚色
龐煖、燕将・劇辛を破り討ち取る(史実)
趙の将軍・龐煖が、侵攻してきた燕の将軍・劇辛を撃破し討ち取った。この勝利で趙での声望を高め、後に合従軍の主将にもなった。
— 史記・戦国策に基づく史実(燕が趙を攻めたか趙が燕を攻めたか等、対決の経緯には異説あり)
李牧、趙の対秦軍略に関わる
元は趙北方で匈奴に備えていた将軍・李牧が、対秦戦の軍略にも関与するようになる。後に趙軍を率いる名将としての歩みの始まりとされる。
— 李牧が匈奴を撃退した将軍であることは史実だが、馬陽の戦いへの関与は漫画独自の脚色
王騎、信の部隊に「飛信隊」の名を与える
大将軍・王騎が信の率いる部隊に「飛信隊」の名を授ける。信自身も王騎から矛を託され、隊長としての歩みが本格的に始まった。
— 漫画『キングダム』の独自エピソード。対応する史実記録はない
大将軍・王騎、龐煖との一騎討ちの末に戦死
王騎は李牧の策により龐煖との一騎討ちに臨み、致命傷を負って戦死した。史実の同時代の秦将・王齮も紀元前244年ごろに没したと伝わる。
— 死の経緯は漫画独自の脚色。史実の王齮(一説に王齕と同一人物)は秦始皇本紀によれば始皇三年(前244年)に没したと記録される
蒙驁、魏の山陽方面へ侵攻開始
秦王政5年、老将・蒙驁を総大将とする秦軍が魏領・山陽一帯へ侵攻を開始。酸棗・燕・虚など複数の城を次々と攻略し、中原進出の足がかりを築いた。史記に記録される秦の対魏遠征。
— 史記秦始皇本紀(秦王政5年)/漫画では第19巻「山陽攻略戦」として描写
桓騎、蒙驁軍の副将として台頭
元は野盗の頭領だった若き将・桓騎が、蒙驁軍の副将として山陽攻略戦に参加し頭角を現す。史実に同時代の秦将「桓齮」が存在するが、経歴や桓騎との異同は不明で、漫画独自の脚色が濃い人物造形。
— 漫画第19巻初登場/史実の桓齮との同一性は未確定
王翦、山陽戦線に将として参陣
冷徹な戦略家・王翦が山陽攻略戦に参陣し、心理的に敵を追い詰める用兵で存在感を示す。史実で王翦の名が確認できるのは紀元前236年の趙攻めからで、山陽戦での登場は漫画独自の早期演出。
— 史記白起王翦列伝(初出は紀元前236年の鄴攻め)/漫画では山陽戦で先行登場
信・王賁・蒙恬、臨時の千人将として初陣
山陽攻略戦において、信・王賁・蒙恬の三人が臨時の千人将に任じられ従軍。後に秦の中核を担う若手世代が、同じ戦場で肩を並べた漫画独自のエピソード。
— 漫画独自の設定(第19〜20巻)
蒙武、楚の援軍を迎撃
魏を支援するため派遣された楚の援軍を、蒙武率いる別動隊が迎撃。山陽攻略戦を側面から支えた戦いとして漫画で描かれるが、対応する史実の記録は確認できない。
— 漫画独自のエピソード/史実記録なし
秦、山陽一帯20城を落とし東郡を設置
蒙驁率いる秦軍が酸棗・長平・雍丘・山陽など魏の20城を攻略し、新たに東郡を設置。秦が黄河下流域まで領土を伸ばし中原諸国への圧力を強めた画期的な出来事。
— 史記秦始皇本紀(秦王政5年、東郡初置)
山陽攻略戦、秦の勝利で終結
魏軍・楚援軍との激戦の末、秦は山陽方面の攻略を成し遂げ大勝を収める。魏はさらに国力を落とし、秦の中華統一への歩みが一段と加速することとなった。
— 史記秦始皇本紀を背景に漫画の物語結末を記述
蕞(さい)の攻防——合従軍、咸陽直前まで迫る
合従軍の別働隊が函谷関を迂回し、咸陽手前の要衝・蕞(さい)まで侵攻したが、秦軍の必死の防衛の前に攻略できず撤退した。この蕞での攻防が合従軍を退ける決定打となり、秦は滅亡の危機を脱した。
— 史記に「龐煖率いる趙・楚・魏・燕の軍が蕞を攻めるも取れず」と記述あり。
合従軍結成、楚・趙・魏・燕・韓の五国が秦包囲へ
秦の東郡設置で国境を脅かされた楚・趙・魏・燕・韓が合従軍を結成。楚の考烈王を総大将、春申君が実務指揮を執り、秦の本拠・咸陽を目指し西進した。戦国時代最後の合従による秦攻撃となる。
— 史記・戦国策等に基づく史実(合従軍結成・春申君の指揮は確認)/五国の内訳・進軍描写は史実準拠だが細部は演出
秦軍、函谷関に三段構えの防衛布陣
秦は函谷関の正面守備に蒙驁・張唐・桓騎、左翼に蒙武・騰、右翼に王翦を配置し、五国合従軍の猛攻に備えた。関を軸にした多重防御網が秦軍の基本戦術となる。
— 函谷関での秦軍迎撃自体は史実/将軍別の布陣・持ち場は漫画の創作
蒙武、楚軍総大将・汗明と函谷関で激突
楚軍の武の象徴とされる総大将・汗明に対し、秦の蒙武が独自の陣形「斜陣がけ」で応戦。函谷関正面における最大規模の激戦となった。
— 楚軍参陣は史実の枠組みに沿うが、汗明という人物・戦術描写は漫画独自の脚色
王翦、函谷関の裏側を制圧し退路と補給を断つ
王翦率いる秦軍右翼が函谷関の背後に回り込んで制圧。合従軍は関門突破の足がかりを失い、正面攻略が事実上不可能となった。
— 函谷関防衛成功は史実の帰結と整合するが、王翦個人の裏側制圧という戦術描写は漫画の脚色
麃公、武神・龐煖との一騎討ちの末に戦死
趙軍総大将・李牧の策により孤立した秦の大将軍・麃公は、趙軍最強格の龐煖と一騎討ちに及ぶ。奮戦の末に討たれ、自らの盾を信に託し咸陽へ向かうよう伝えた。
— 麃公・龐煖ともに史実性が薄い漫画独自キャラクターで、一騎討ちの経緯・戦死描写は完全に脚色
秦王政、昌平君と諮り蕞への親征を決断
趙軍が函谷関を迂回し咸陽手前の要衝・蕞に迫る中、秦王政は昌平君と相談のうえ自ら蕞へ出陣することを決断。秦国存亡を賭けた防衛戦への道を選んだ。
— 蕞という要衝の名や合従軍の脅威自体は地理・史実の枠組みに沿うが、王の親征経緯は漫画の脚色
昌平君、介億ら軍師団を派遣し蕞の防衛網を構築
昌平君は介億をはじめとする指揮官級の軍師およそ百名を蕞に送り込み、限られた兵力と地形を活かした綿密な城壁配置を立案。防衛戦の骨格を築いた。
— 昌平君の実在・重臣としての立場は史実に近いが、蕞防衛での具体的な軍略指揮は漫画の脚色
蕞の住民3万人が総動員、秦王政が自ら鼓舞
兵士千に満たない蕞は住民3万人(大半が女性・子供・老人)を戦力として動員。秦王政は住民全体に語りかけ、秦国の存続が懸かる戦いへの参加を求めた。
— 人口・兵力の数値や住民動員のドラマは漫画独自の脚色で、史書に対応記録はない
飛信隊と壁隊、麃公軍残兵とともに蕞の前線へ
麃公軍の残存兵を壁が率いて合流し、信の飛信隊とあわせて蕞の前線防衛に投入された。秦王政の直属兵と合わせても総兵力は5千程度に留まった。
— 飛信隊・壁は漫画独自の部隊・人物で、蕞での配置は完全に創作
山の民の援軍到着、李牧が蕞からの撤退を決断
劣勢の蕞に山の民の援軍が到着し戦況が動く。趙軍総大将・李牧は戦線の均衡が崩れたと判断し撤退を決断したが、龐煖は独自に山の民との戦闘を継続した。
— 李牧の史実性は高いが、山の民の介入や蕞での撤退判断は漫画独自の脚色
合従軍、函谷関・蕞の両戦線で敗退し撤退
函谷関・蕞の双方で秦軍が持ちこたえたことで合従軍は撤退。史実でもこの戦いを最後に六国が秦を攻める合従は行われず、以後秦の統一が加速したとされる。
— 史記・戦国策等に基づき合従軍最後の秦攻撃であることは史実/蕞での決着経緯は漫画の脚色
嫪毐の乱と呂不韋の失脚
太后の愛人・嫪毐が謀反を起こすが鎮圧され、車裂きの刑に処される。嫪毐と結びついていた宰相・呂不韋は失脚し、後に自害する。嬴政はこれを機に親政を確立する。
— 史記・秦始皇本紀。紀元前238年(始皇9年)嫪毐の反乱鎮圧・呂不韋失脚。
太后(趙姫)、雍城に幽閉される
嫪毐の乱鎮圧後、秦王政は太后(趙姫)を雍の離宮に移し幽閉した。乱への関与を問われた処置で、後年赦されて咸陽へ戻るまで幽閉状態が続いたとされる。
— 史記・秦始皇本紀の記述に基づく/漫画でも同様の展開が描かれる
昌平君・昌文君、乱鎮圧の功で重用される
嫪毐の乱鎮圧の中心を担った昌平君・昌文君は、その功により秦の中枢で重用されるようになった。二人はのちも王政を支える重臣として軍事・内政に関与し続けた。
— 史記に鎮圧での武功の記述あり/正確な叙任時期は不詳
呂不韋、相国を罷免され洛陽の封地へ
嫪毐の乱への関与を疑われた呂不韋は、秦王政により相国の地位を罷免された。まず洛陽の封地へ退けられたが、諸侯の使者との交流が続いたことが後の悲劇を招く。
— 史記・呂不韋列伝に基づく
秦王政、逐客令を発令
韓の間者・鄭国の発覚を機に、秦は他国出身の客卿を疑い一斉追放する逐客令を発した。李斯ら多くの人材も対象となり、秦の人材登用政策は一時混乱した。
— 史記・李斯列伝に基づく
李斯「諫逐客書」により逐客令撤回、客卿に復帰
追放対象となった李斯は秦王政へ「諫逐客書」を上奏し、他国人材登用の意義を説いた。政はこれを容れて逐客令を撤回、李斯は客卿として重用され台頭の足がかりとした。
— 史記・李斯列伝に基づく
昌平君、右丞相に就任
呂不韋の失脚後、昌平君は右丞相に取り立てられ秦の中枢を担った。のちに反乱により史書から扱いを消されるが、この時期は王政の重臣として権勢を振るったとされる。
— 呂不韋を相国から右丞相格へ引き上げた記録との対比から推定/正確な就任年は諸説あり
秦、趙北部侵攻を開始(鄴周辺9城を攻略)
趙の将軍・龐煖が燕に出兵し本国が手薄になった隙を突き、秦は王翦を総大将、桓齮を副将、楊端和を末将として趙へ侵攻を開始。まず鄴の周辺9城を攻略した。
— 史記・戦国策等に基づく実史(鄴攻略戦の緒戦)/漫画でもほぼ同様に描写
王翦、閼与・轑陽を攻略し軍を再編
王翦は閼与・轑陽も攻め落とし、分散していた秦軍を一軍に統合。18日後、兵糧の都合から爵位の低い兵を帰国させ、精鋭のみで鄴・轑陽の攻略にあたった。
— 史記等の記述に基づく(閼与・轑陽陥落と兵の選別の逸話)
朱海平原にて秦趙両軍が激突(漫画オリジナルの大会戦)
鄴攻略戦の最中、朱海平原で秦軍と李牧率いる趙軍主力が大規模に衝突。史実には該当する記録がない漫画独自の大会戦で、飛信隊をはじめ秦軍諸部隊が参戦した。
— 史実に該当する大会戦は確認されず、漫画独自の創作(後年の番吾方面の戦いを一部下敷きにしたとの指摘もある)
王賁・蒙恬の両翼軍、趙峨龍・紀彗ら趙将と交戦
朱海平原の戦いで秦軍右翼・左翼を率いた王賁・蒙恬が、李牧配下の趙峨龍・紀彗ら趙将と激突。両軍とも大きな損害を出しながら死闘を繰り広げた。
— 漫画独自の描写。趙峨龍・紀彗は史書に確認されない架空色の強い人物
飛信隊の信・羌瘣、朱海平原で奮戦
飛信隊を率いる信と副長格の羌瘣が朱海平原で趙軍将兵と交戦。羌瘣は暗殺者出身の技量を発揮し、信は隊を鼓舞しながら戦線を支えた。
— 漫画独自の描写
朱海平原の戦いが終結、秦軍が辛勝
数日に及んだ朱海平原の大会戦は、双方に多数の死者を出した末に秦軍側の辛勝で終結した。この戦いは漫画のみに描かれ、史実上の記録は確認されていない。
— 漫画独自の創作大会戦
鄴城が陥落、秦が趙北部の要衝を制圧
激戦の末、秦軍は趙の要衝・鄴城を含む諸城を制圧下に置いた。この鄴攻略戦により秦は趙北部への足がかりを得て、8年後の趙滅亡(前228年)への布石となった。
— 史記等に基づく(鄴攻略戦の帰結)
呂不韋、蜀への移住を命じられ自害
洛陽での呂不韋の影響力を警戒した秦王政は、一族もろとも蜀へ移るよう詰問状で命じた。追い詰められた呂不韋は誅殺を悟り、毒杯を仰いで自ら命を絶ったとされる。
— 史記・呂不韋列伝に基づく/自害の年は紀元前235年頃とする説が有力
桓齮、趙の平陽・武城を攻略(史実)
史記は紀元前234年、秦将・桓齮が趙の平陽・武城を攻め、趙将・扈輒を敗死させ趙兵十万を斬首したと伝える。秦による対趙侵攻が本格化した局面である。
— 史記・秦始皇本紀に基づく
黒羊丘の戦い(漫画オリジナル、桓騎軍vs趙・慶舎)
漫画『キングダム』では桓騎軍と信の飛信隊が趙の若き将軍・慶舎らと黒羊丘の五つの丘を巡り激突する。史実の平陽の戦いを土台にした脚色で、慶舎など主要人物は創作である。
— 史実の平陽の戦い(桓齮の趙侵攻)を土台にした漫画独自の脚色/慶舎は架空の人物
飛信隊、黒羊丘の戦功により拡大・昇格
黒羊丘の戦いでの活躍を経て、信率いる飛信隊は兵数・地位ともに拡大した。漫画独自の描写であり、部隊規模の変遷は史書には記録されていない。
— 漫画独自の描写であり史実に対応する記録なし
秦軍、趙の赤麗・宜安へ再侵攻
紀元前233年、桓齮率いる秦軍が趙の赤麗・宜安へ侵攻。趙は名将・李牧を呼び戻し、秦軍への迎撃にあたらせた。
— 史記・趙世家等に基づく
李牧、赤麗で秦軍を消耗させ情報を封鎖
李牧は赤麗で秦軍を消耗させる策を講じ、自軍の動きを秘匿して秦の後続部隊を牽制した。寡兵となった桓齮軍は次第に不利な状況に追い込まれていく。
— 漫画における李牧の策の描写。史実では戦術の詳細までは確認されていない
肥下の戦いで李牧が桓齮軍を大破
李牧率いる趙軍は肥下で桓齮の秦軍と激突し、これを大破した。秦は宜安・肥下方面での大敗により趙北部への圧力を一時後退させることとなった。
— 史記に「李牧、秦軍を肥下に破る」旨の記述あり
桓騎、肥下で矢を受け落命(漫画の描写)
漫画『キングダム』では、桓騎は劣勢の中で反撃を試みるも李牧軍に及ばず、全身に矢を受けて肥下で命を落とす様が描かれる。史実の桓齮のその後は不明で、燕へ逃れたとする説もある。
— 漫画独自の最期の描写。史実では桓齮のその後は不明(燕への逃亡説・樊於期同一人物説等があるが確定していない)
李牧、武安君に封じられる
宜安・肥下での秦軍撃退の功により、趙王は李牧を武安君に封じた。李牧はこの後も趙の防衛を支える柱であり続けるが、数年後に讒言により処刑される運命をたどる。
— 史記・趙世家に「李牧を封じて武安君と為す」旨の記述あり
韓非、秦に至り獄死す
法家の思想家・韓非が秦に使者として赴くと、秦王政はその著作に心酔した。だが同門の李斯は地位を脅かされることを恐れて讒言し、韓非は投獄され毒を賜り自死したと史記は伝える。
— 史記・老子韓非列伝。紀元前233年、韓非は秦で獄死。戦国策には異説もある。
番吾の戦い——李牧、再び秦軍を撃退
秦王政は大軍を趙に侵攻させ狼孟・番吾を占領するが、趙の名将・李牧がこれを撃破し韓魏国境まで押し返す。当時秦の攻勢を退けた将は李牧と楚の項燕のみだったとされる。
— 史記・趙世家、廉頗藺相如列伝。紀元前232年、李牧が番吾で秦軍を破る。
韓の滅亡——六国の最初の滅亡
秦の将軍・騰が率いる軍が韓を攻め、韓王安を捕縛する。戦国七雄最弱の小国・韓が初めて滅亡し、秦の六国統一が本格的に始動する。
— 史記・秦始皇本紀。紀元前230年(始皇17年)、騰が韓王安を捕え韓を滅ぼす。
韓の故地に潁川郡設置——内史騰による統治開始
韓を滅ぼした内史騰は、旧韓の地を秦の直轄地・潁川郡として編入する。統一戦争で初めて征服地が郡県制に組み込まれた事例であり、後の全国統治体制の先例となった。
— 史記・秦始皇本紀。紀元前230年、韓の地に潁川郡を置く。
王翦による趙最終攻略と李牧の誅殺
王翦が羌瘣・楊端和とともに趙へ総攻撃を仕掛ける。趙の名将・李牧は秦軍を再三退けるが、王翦の反間計により趙王に讒言され、紀元前228年に誅殺される。李牧失脚後、秦軍は邯鄲を陥落させ趙王・幽繆王を捕縛する。
— 史記・廉頗藺相如列伝・趙世家。紀元前229年に王翦が趙攻め開始、228年に李牧を殺させ邯鄲を落とす。
趙の公子嘉、代に逃れ自立——「代王」を称す
邯鄲陥落で趙王遷が捕らえられると、王族の公子嘉は一族数百人を率いて北方の代に逃れ、自ら「代王」を称して秦への抵抗を続ける。趙の残存政権として6年後の紀元前222年まで存続した。
— 史記・趙世家。紀元前228年、邯鄲陥落後に公子嘉が代で自立し代王を称する。
荊軻、秦王政の暗殺を謀るも失敗
燕の太子丹に放たれた刺客・荊軻は、亡命将軍・樊於期の首級と督亢の地図を手土産に秦王政へ謁見する。地図に隠した匕首で襲うが取り逃がされ、その場で斬殺される。燕への報復侵攻の直接の引き金となった。
— 史記・刺客列伝。紀元前227年、荊軻が秦王政の暗殺を試みるが失敗。
燕の都・薊陥落——燕王喜、遼東へ逃れ太子丹を斬る
荊軻の一件に激怒した秦は燕へ侵攻し、王翦(副将・蒙武)が燕都・薊を陥落させ、李信が太子丹を遼東まで追撃した。燕王喜と太子丹は遼東へ逃れるが、代王嘉の進言に従い燕王喜は太子丹を殺してその首を秦へ差し出し、延命を図った。
— 史記・秦始皇本紀/燕召公世家。紀元前226年、王翦(一部は李信)率いる秦軍が薊を陥落させ、燕王喜が太子丹を殺し首を秦に献じる。
魏の水攻めと魏の滅亡
秦の王賁が黄河の水を引いて魏の都・大梁を水攻めにする。3か月の包囲ののち城壁が崩壊し、魏王假が降伏する。魏が滅亡し、秦はさらに東方へ支配を広げる。
— 史記・秦始皇本紀。紀元前225年(始皇22年)、王賁が大梁を水攻めし魏を滅ぼす。
李信の楚攻め大敗——20万軍の壊滅
嬴政は李信を指揮官に20万の軍で楚に侵攻させるが、楚将・項燕の反撃と昌平君の離反により城父で壊滅的な大敗を喫する。李信は7人の将を失い敗走する。
— 史記・白起王翦列伝。李信20万の楚攻めが項燕・昌平君に挟撃され大敗。
秦の丞相格・昌平君、郢陳で秦に叛く
楚の公子でありながら秦の宰相格にまで昇った昌平君は、旧楚都・郢陳の統治を任されていたが、李信の楚侵攻中に秦から離反し反乱を起こす。後方の要地での離反は李信軍壊滅の一因となった。
— 史記の記述は簡略で、昌平君の丞相就任・郢陳統治・離反の詳細は雲夢秦簡など出土史料に基づく近年の研究による再構成。
王翦の60万大軍による楚の平定
王翦が「60万の兵」を条件に楚の征伐を引き受ける。持久戦で楚軍を消耗させたのち、紀元前223年に楚王・負芻を捕縛し楚を滅亡させる。
— 史記・白起王翦列伝。紀元前223年(始皇24年)、王翦・蒙武が楚王負芻を捕え楚を滅ぼす。
楚最後の抵抗——昌平君の擁立と項燕の最期
楚王負芻が捕らえられた後も、項燕は昌平君を新たな楚王に擁立し淮南で抵抗を続けた。紀元前223年、王翦・蒙武の秦軍がこれを撃破し、昌平君は戦死、項燕も自害して楚は完全に滅亡した。
— 史記の楚世家・王翦列伝と秦始皇本紀とで項燕の没年に一年のずれがある(紀元前224年説と223年説)。ここでは秦始皇本紀の223年説を採用した。
斉の降伏と中華統一の完成
王賁が斉に侵攻し、斉王・建が戦わずして降伏する。六国すべてを平定した嬴政は、史上初めて中国全土を統一した君主として「始皇帝」の号を制定する。
— 史記・秦始皇本紀。紀元前221年(始皇26年)、斉王建降伏・嬴政が「始皇帝」を号する。
斉の宰相・后勝の裏切り——賄賂による不戦降伏
斉の宰相・后勝は秦から莫大な賄賂を受け取り、長年にわたり他国救援を怠らせ斉の軍備強化を妨げた。秦軍侵攻時、斉王建は后勝の進言のまま抗戦せず降伏し、斉は戦わずして滅亡した。
— 史記・田敬仲完世家、戦国策・斉策。紀元前221年、后勝の受賄が斉の不戦降伏を招いたと記される。
「皇帝」号の制定と郡県制をめぐる王綰・李斯の論争
統一後、秦王政は丞相・王綰、御史大夫・馮劫、廷尉・李斯らに新称号の審議を命じ、「泰皇」案から「皇帝」を選び採用する。続く統治体制論争では、王綰が皇子分封の封建制を進言するが、李斯が強く反対し郡県制の全国施行が決まった。
— 史記・秦始皇本紀。紀元前221年、皇帝号の制定と王綰・李斯の郡県制論争が記される。
始皇帝による天下統一後の施策
始皇帝は度量衡・文字・貨幣の統一、郡県制の実施、万里の長城の整備など中央集権的な統治機構を整える。信は大将軍への道をなおも歩み続ける。
— 史記・秦始皇本紀ほか。統一後の改革は史実に準拠。
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